2024.9.27「1日2食と排泄のケア」

 「最期まで自宅にいるために何が必要か」というと、「1日2食と排泄のケア」ではないかと思う。最低必要なものは何か、という討論である。
 自宅に、寝たきりの独居の方がいて、この人が、「最期まで自宅にいたい」と希望されるとき、必要なケアは、「1日2食と排泄のケア」であろうと思う。
 1日3食食べられれば理想だが、2食を食べられれば生存可能である。加えて、排泄のケアが受けられれば、その人は最期まで自宅で暮せるであろう。保清として入浴や清拭が行われることが望ましいが、これは、週に1回とか2回とかであっても生存にはあまり影響しない。従って、毎日「1日2食と排泄のケア」が受けられることが最低必要なもの、ということになる。
 ケアプラン構成の側から、ヘルパーをどれくらい、とか、デイサービス、とか、入浴サービスとかの組み合わせから発想するのではなく、「毎日、1日2食と排泄のケアを実施するためにどのようなケアプランが必要か」と考えるほうが、うまくサービスを組み合わせられると思う。県や市の、福祉や介護の政策立案も、「最期まで自宅にいられる」ために、必ず、個々のサービス供給(サービス項目やサービス供給量)から議論を進めているが、「毎日、1日2食と排泄のケアを実施するためにどのような施策が必要か」を考えるほうが建設的ではないかと思う。
 「看取りのできる在宅医療」という言葉があるが、矛盾をはらんだ言葉であると私は思う。「最期まで自宅にいるために何が必要か」というと、「1日2食と排泄のケア」と考えられるからである。つまり、最期まで自宅にいるために、絶対的に必要なのは、「在宅医療」ではなく、「在宅ケア」である。在宅ケアの基盤に乗って、必要な人に在宅医療が行われるということになる。
 もちろん、寝たきりの人の大部分は投薬を受けているし、褥瘡などの傷がある人や、癌などの痛みがある人は、どうしても医療を必要とする。酸素濃縮器などの機械を使用している人、カテーテルなどの管を利用している方には、どうしても医療が必要である。最期に自宅で「最後の診察」をしてくれる医師がいないと、逝去時に検死となり、ご遺体を警察署に連れていかれてしまう、という意味でも、在宅医療が導入されていることが望ましい。
 しかし、ご本人の「最期まで自宅にいたい」という自己実現を叶えるために、まず、第一義的に必要なのは、「1日2食と排泄のケア」と考えられる。 (和田忠志)
すべてのリアクション:

あなた、他1人